貧困ではないが裕福でない生活

四国の辺境在住。うつ病を発症した後思った様々な出来事を綴るために開設したブログ

うつ病記~発症まで①~それまでは人一倍仕事人間だった~

 まずは自分について書かなければならない。
 
 年齢は数年前に40の大台は超えて厄年も数年前に迎えている。
 
 仕事はサラリーマンだが接客や販売に携わる業務でもあるため、現場はある程度シフトで動く。社員数はそれなりに多く契約社員やパート、アルバイトを含めるとおそらく数百人になると思う会社のとある事業所の管理職。
 役職は次長ではあるが、部長ほどの権限はなく、課長ほど現場を任されているわけでもない。比較的自由に動き回ることが出来るが給料は課長職とさほど変わらず、部長とその上が結構多くもらっている。でも課長より上の立場なんで責任や結果は現場の人より大きいが権限は少なく、最終決裁はその事業の部門長でなければいけないのが特徴という少し特殊な立場であった。つまりは部長がOKでもその上が駄目なら何も決める権限はなく、下からの提案もただ上に伺うだけの飼い犬同然であった。
 
 実はこの会社には自主的に入ったわけではなく、別の会社で勤務していた時今の会社に買収された。外様であり今までとは違う職務体系ということ、中小企業であった前職と違い社員数が100人を超えるのでいろいろ決裁をとるのにややこしいのがストレスになっていたが、自分は前の会社で企画をやっていたせいか、結構な好待遇をうけて今の部署に所属することになった。
 
 当然冷遇される人間もいて1年で前社の社員の半分以上が退職した。自分が買収されてすぐに別部署に配属されたのは幸運と思えた。
 
 「自分を必要としてくれている」というその恩義に報いるためとなんでいきなり外様の人間が自分らの上に立つんだという現場からのプレッシャーをはねのけるため、結果が必要であった。そのためには他人にはできないことを自分はできるというステータスを出さないといけなかったし、何よりも今よりも若かった。
 
 また、四国の辺境ということもあって少子高齢化と過疎化に悩んでいる地域の部署でもあるため、地域活性化の仕事にも取り組むことで自社にも利益が得られると考えた。そのため、その会社でやっている業務とは少し異なった仕事をこなし、おそらくは他人よりも人一倍仕事量をこなしたと思う。
 
 その結果上司にはない人脈を構築し、独自の評価が地域から聞かれることも多くなったが、その結果かどうかは知らないが当時の上司からのパワハラではないが帳票の誤字などの細かいミスやあいさつに元気がない、ため息が多い、報告が悪いなどの若手社員がされるような注意を頻繁にうけるようになり、仕事ではそれなりの結果を出しているにも関わらず上司ウケは悪かった…。
 
 それでも自分でなければこの仕事はできないと自負している部分や他人には負けないう企画力、運営力はあると思っていたが、ある日信じられない異動を被る羽目になった。結局は入社年数が少ないからうまく社内人脈を構築できていないのが仇となった気がする…。(つづく)