うつ病記~発症①~
糖尿病に関しては薬物療法と運動療法があるらしいが多くは併用になる。
最初にインシュリンを打つと聞いて「治療はそれ以外にもう残されていない」と思ったが、最近では初期であればインシュリンを最初に打ってすい臓を休ませて機能を改善させる使い方をするそうだ。それで数値が安定した後に本格治療を開始することになるらしい。
自分の場合はその治療法が効果を示したせいか最初の治療でかなり良い数値を出した。当然食には気を配るようにはなったが…。
現在(2018年8月)は血糖値115ヘモグロビンa1c5.5%と安定している。
食生活はストレスで無意識のうちに大食いしたり、疲れがたまるので甘いものを多く
摂ってたのが原因と思われる。でも糖尿病もまたうつやがんと同じくなる人もいればならない人もいるので人によって異なるという事であろう。
そんなこんなで師走の忙しい時期が始まった。繁忙期なので当然ある程度無理しないと現場はまわらない。自分は管理職でもあるので他の社員の規範にならないといけないという使命感が強かった。
少しでも早く現場で実績を挙げなければ…。自分の存在価値を高めなければ…。
そんなことばかり考えてたような気がする。
そして多分忙しいと予想される日に目が覚めたある日…
身体が寝床から起き上がることが出来なかった…
うつ病記~発症まで④~もうひとつの病気を発症~
11月に異動になり、約一か月が経った12月上旬体調に異変が起こった。
まずある日朝起きたらスマホの文字がぼやけて見にくくなっており、さらに車のメータもーぼやけて見えない…。
慌てて現場の売り場のお客様用の老眼鏡をかけるとくっきりと見えるがそれがないと手元がぼやけるようになった。
生まれてこの方目だけは常によく健康診断でも視力が1.2から落ちたことがなかったので、びっくりしたが40代後半になったのでいわゆる「老眼になったのかな…。もうあまり若くもないしそろそろ起きてもおかしくない年齢だし」と思った。
でももっと厄介だったのは老眼をかけてPCのモニタはくっきり見えるのに、
エクセルで入力された数字が頭の中に入ってこない!
入力された数字が何故か追えない!
あれっ?と疑問に感じたが、その時は「注意が足りてないのかな?集中が出来ていない。疲れてんのかな?」とか思った…。
そしてある日ものすごく喉が渇くようになった。そしてトイレに行く回数が増えた。
水を飲んでもすぐ喉が渇き、それでも水分を取りすぎるのでトイレに行く…それが2週間ぐらい続いた。
さすがにこれはおかしいと思いネット検索したところ「糖尿病」という症状が引っ掛かった…。もしかすれば目がぼやけるようになったのもその兆候だったのかも…。
最悪失明することがあるとか書いていたのですぐに高血圧の定期健診を受けている内科の主治医のところに行った。
すぐに尿検査と血液検査をしたところ「糖尿病で間違いない」という診断が下された…。しかも血糖値が238(標準90以下) ヘモグロビンa1cという数値に至っては11.5%(標準6.0%以下)というすごい数値だった。本来なら即入院レベルの数値なんだが主治医の先生は「取り敢えず1週間インシュリンを打って薬で様子みましょう」という事になった。
すごく悲観して「もう食べたいものも食べることが出来ない人生になるんですか?」とか言ったら笑いながら「そんなことない。大丈夫」と言ってくれたのであの言葉がなければ救われることはなかっただろう。
その後眼科に行き糖尿病性疾患が発症しているか調べたところまだセーフだった。
本当にあの時はほっとして「自分の体がいかに不健康な状態にさらされていたか」
に気が付くことが出来た。
うつ病記~発症まで③~新天地は孤独~
11月より新しい部署での仕事が始まったが、新しく覚えなければいけないことが山ほど出てきた。
社内用のオペレーション関係のシステムなどではなく、施設独自のシステムを使わなければいけなくなり、自分が手馴れていた仕事のスキルがほとんど役に立たなかった。
社内の引継ぎ等も特にされることなく、覚えるためには恥を忍んで聞かなければならなかった。
また、自分のような管理職が飛ばされてきた(と現場は思っている)人間に現場スタッフは冷たかった。自分がいる中でも会社や仕事の愚痴を言ったり繁忙期に休みを取ると「偉い人が忙しい時に休みを取るなんてどういう事ですか?」とか知らないことを確認しようとすると「知りませんよそんなん!なんで〇〇(役職)なのに知らないんですか?!」という女性社員(50代)や、お客様からのクレームを放置したままにしている現場のパートスタッフは「私はパートですよ?!なんでそこまでしないといけないんですか?!」といった事を直接言われたりした。そういったことを部長に報告するも自分をなだめるような態度を取られたり「指示して周りを使うことが自分たちの仕事だから〇〇(役職)もその時に対応出来るようにして欲しい」みたいなことを言われた…。
要するに管理職なんだからもっと自分がしっかりとコントロールするようにという事だった。冗談じゃない。今までやってきた事の延長でアドバイスはできるが会社や仕事の愚痴や文句に対してなんで会社の立場で自分が対応しなければならないのか意味が分からなかった。
要はこの会社の社風は「来るもの拒まず去るもの追わず」「嫌なら辞めてくれればいい」「優秀な人間”だけ”で仕事をすれば会社が良くなる」と本気でよくなると考えているようだ。実際離職率は高い。特に若手の給料は安く希望に満ちて入社してきた新入社員の半分は入社1年以内に辞め8割が入社3年以内に辞める…。
また管理職があこがれの職業でないのも大きい。多少は給料が高いけど残業は多く数字に追われ上からあれこれ言われるのなら、言われたことを淡々と来なすほうがはるかに楽だという事と、20代の転職が当たり前になった時代にこの会社に尽くそうという人材が残りたいとは思えない。
とにかく孤独だった…。
それでも現場の仕事を少しでも覚えて実績を出さないと自分の居場所はないと考えていた。
取締役に以前「お前は結果を残してなんぼの存在」という言葉が頭をよぎることが度々あった。
そんな時に自分にとってショッキングなことが起こった。
うつ病記~発症まで②~突然の玉突き人事~
2017年10月末某日。当時直属の上司だった取締役(いわゆる所属組織のTOP)から携帯に電話があり、明日夕方5時に話があると言われた。
その時本社企画部門がゴタゴタしており、そこの室長があまりにも仕事がひどいので異動になるという噂は聞いていた。しかし、何故か女性管理職という事で左遷や降格がないのでみんな不満に思っていた。
結論としては自分が室長をしていた所属部署の企画営業部門をその女性管理職が後任になり、自分は現場職未経験という事でそちらの管理職に異動という事になった。
正直その部署の取締役とはあまり良い関係が構築されているとは言えず、それなりの実績を挙げても褒められることはほとんどなかった。
それどころか「挨拶が不十分」「ため息が多い」「身だしなみが悪い」とか新入社員でしか言われない細かい指摘にうんざりしていた。おそらく向こうもそれなりに息苦しさを感じていたのだろう…。
しかしこの人事にはさすがに憤った。あの女性管理職と自分が同等の評価しかされていないこと(あの人の下で働いていた人の大抵が退職した。それも女性がほとんど)と、今まで自分がやってきた仕事を会社としてそれほどの評価に値しないという事が今回の会社事情の玉突き人事でわかったからである。その裏には取締役の『社長になりたい』という思惑で現社長に貸しを作るきっかけで自分のやりたいことを否定されたような気がしたからである…。
かと言って給料が下がるわけではなく、その部署では部長に次ぐ立場を保証されていたのでやむなく承諾したが自分が30代であれば間違いなく退職していた。
それが本格的なうつ病を発症する引き金になるとは思ってもみなかった。